群鶏の画家、清原啓一とは?
いつもブログをご覧いただいている皆様、こんにちは!
通信販売部の生田智美です。
秋といえば、芸術の秋ですよね!
前回に引き続き、鶏に縁のある日本画家 第2弾!
今回は「群鶏の画家 清原啓一」をご紹介します。
まずはこの絵をご覧ください。
▲紅葉遊鶏図
こちらは2005年に清原啓一が描いた紅葉遊鶏図という絵です。
繊細なタッチが特徴的な美しい絵ですね。
清原啓一は一貫して「鶏」を描き、確たる評価と名声を得た画家で、「群鶏の画家」という異名があります。
こんなに素敵な絵を描く清原啓一とは一体どのような人物だったのでしょうか。
清原 啓一は1927 年に富山県砺波市に農家の長男として生まれました。1952年には日展初入賞を果たし、卒業後は東京で中学教師として働きながら制作を続けました。
人物画や静物画も得意としていましたが、新しいモチーフを探していたときに、故郷で飼っていた鶏を思い出し、1954年には初めて鶏を画題とする作品を出品します。
その後、数々の賞を受け、日本芸術院会員や日展顧問、光風会常任理事を務めるなど、2008年に82歳で亡くなるまで活躍しました。
清原啓一は鶏を描くにあたって、庭に鶏を飼い、一日50枚、2,000枚にも及ぶスケッチをしました。鶏は風景や婦人像とは違って動き回るため、油彩画での表現は困難と言われていますが、60年にわたってひたすら取り組み続けました。
画風は留まることをせず、年代とともに表現方法も変わっていきます。描き始めた当初は、自らが選んだものを見たとおりに描いていましたが、鶏の形態と量感に主題が置かれ、一つの生き物として忠実に描くようになります。1980年代後半からは日本の風土を表現することに挑戦し始め、装飾性の高い遊鶏図となりました。
2000年代は清原芸術の円熟期と位置づけられ、日本の四季の感覚と、象徴的な存在に高まった鶏とを調和させた豊麗な絵画表現を完成させました。
▲花園の遊鶏
▲遊鶏の賦
絵を見てどことなく温かい気持ちになれるのは、鶏に込めた郷愁の想いにあったのですね!
前回紹介した伊藤若冲も清原啓一も「何千枚と言われる鶏のスケッチをした」というエピソードが有名ですが、鶏には天才画家2人を魅了する美しさがあったようです。
2人にはどのように鶏が見えていたのでしょうか?気になりますね!
今回は、「群鶏の画家 清原啓一」についてご紹介しました。
食、スポーツ、芸術の秋を思いっきり満喫しましょう~!
次回の更新もお楽しみに♪
通信販売部
生田智美